先日、二本文章にした物語を、知人(家内の友人)に読んでもらった。
一本は児童文学の文体は守っているもの、1本はかなり大人向け。
前者は脳死と臓器移植(ドナーと移植者=生と死)、絶滅した動物、痴呆老人、教師と生徒といったテーマをすえ、しし座流星群のもと、ニホンオオカミと女の子のダンスをクライマックスにもってきた物語。
後者はギリシャ神話の「パキウスとピレモン」を下地に現代物にした短編。壮年のサラリーマンと脳梗塞で肢体不自由になった妻の話。
基本的に、自分は「バッドエンド」「デッドエンド」は大嫌いだったにもかかわらず、意に反してそういうものになってしまった。特に前者には、もっと粋な終わり方がないと、読み聞かせはできない。
知人の感想は、ちょーっと大変なまでに、ツッコミが激しかった。
特に後者については「男って、自分勝手なロマンが必要なのね」だった。長々と電話口で説教に近い感想を聞いたが、「とにかくいろいろ考えさせられた」話だったそうだ。
感情をかき乱すだけの琴線触れるものになったのは、確かみたいだった。
なんにせよ、創作は人間性を反映するもんだ、とあらためて痛感。
特に死生観、男性なら女性観は、物語という架空の世界にあってもにじみ出てきて、表に出したつもりが無くても、読み手の嗅覚を突くものだ、と勉強になった。
エンターテイメントの中にこそ、心の琴線に触れるものが伝えられる、が基本姿勢なので、もっといろいろ書いちゃあ、説教を受けよう、といった毎日だ。